山江村松本農園の日々
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暑い山江の夏。

7月15日、(土)、晴れ・夕立少し。


 暑い夏である。

家の周りも田んぼの回りも、見渡す限り草だらけ。

朝、涼しいうちに草刈をするようにしているが、これが中々の重労働。

今は動力草刈り機でやるからよほど良いが、昔はこれを全て手鎌でやったかと思うと、思うだけで疲れてくる。


「お盆までは草刈に精を出せ」と、父や母からよく言われていた。

(二人とも存命であるが、今はもう言わなくなった。諦めたのか?)

汗を流すのを楽しみながら、草刈りに挑みたい。


 6月下旬から7月上旬までは雨の日が続いた。

そのためか、100羽いた合鴨君の雛たちが、1羽減り2羽減りしているうちに、とうとう1羽もいなくなってしまった。カラスかトンビが来たのだろうか鳥除け用のテグスが切れていたり、大雨で田んぼから水が溢れたり、天敵いたちが侵入したり、したのだろうか?鴨さんたちには、かわいそうなことをしてしまった。申し訳ない。

昨年の親鴨30羽は、元気に田んぼを泳ぎまわり、少々稲を踏み倒しながらも、雑草を取ったり害虫を食べてくれている。ありがたいことである。

暑さのためか、鴨の卵は産まなくなったようである。


こうして農園の日々は過ぎていきます。


 7月11日、山江村では村長選挙の告示がありました。

午後5時までに届出があったのは、現職の内山慶治氏一人。(1955年7月生まれ。50歳。)

4年前の初陣に引き続き、無投票での再選。

今後、内山慶治村長を中心に、山江村のむらづくりが進むことであろう。


同時に告示された村議会議員補選(定数1)には、男女各一名が立候補し、明日投票が行われる。どちらも山江村生まれの54歳・同級生対決である。

村民は、どちらに議会議員の席を与えるのであろうか?


 人口4000人の山江村では、来年4月の村議会議員選挙から定数を10名にする事が既に決定している。(現在は14名)。

子育て。

『子ども』  ドロシー・ロー・ノルト

批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる

殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる

笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる

しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる

賞賛を受けた 子どもは
評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

6月3日に、神野直彦東京大学教授の講演を聞いた。

経済学の先生だが、文学的・哲学的な先生でもあられるようだ。

講演の中で紹介してくださった、スゥエーデン国の教科書に載っているという「子ども」という詩です。



私はどのように育てられたのだろうか?


私は私の子どもをどのように育てたのだろうか?

私の4人の子どもは、皆20歳以上になってしまった。

もっと早く、子育ての最中に、この詩に出会っていればよかったのになあー。

最近更新がないですね。

久しぶりの日記です。


先日思いがけない人から、

「最近更新がないですね、楽しみにしているんですよ。」

との言葉。

「えっ、あなたも読んでくださっているのですか?」と、私。

その人はプロの文筆業(?)の方で、そんな方にも読んでいただくのかと考えると、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい思いです。


自分のためにと書き始めたブログ日記ですが、読もうと思えば世界中の誰でもが読めるのがネットの世界。

自分の頭の中だけの広がり以上に、遠近は関係なくネットで結ばれているのが現在の世界状況なのでしょう。


この便利な道具を、もっと自由に駆使できるように、もっと自由に活用できるように、スキルアップの勉強をしたいものです。


今日は雨。

昨日、水田の堆肥撒布を終了した。今年は130アールに40トンを撒布した。

次に合計2トンの富山県産貝化石粉(ミネラル養分)を撒布して、耕すことになる。


いよいよ稲作り本番である。


安定所得・安定経営

2006年4月15日(土)、雨。

よく降る春雨だ。今年は少し降雨量が多いような気がする。


55歳にもなって初めて「経済」ということが少し分かった。

今朝、ある友人に「松本農園の経営はどうしたらいいのでしょう?」と尋ねたら、

「安定経営、安定所得」が第一です、と即座の回答。


20年も30年も実験ばかりしていて、どうして安定経営が出来ようか?

雨にも風にも虫にも草にも、負けてばかりいて、何が生産できようか?

いや、一番負けているのは自分の心にだろう。


安定所得がないから、妻は人吉へ稼ぎに行き、

息子は雇われて山へ木を切りに行くのだ。


農業をしているというのなら、今こそ安定所得を生み出せる経営を確立させねばならない。せっかく息子も農業をするといっているのに、これで引き継いでくれとはとても言えない。

目指せ・安定経営!!、目指せ・安定所得!!。


午後は1時間のドライブで八代市へ行った。

大分県で循環農業をされている赤峰勝人さんの講演会を聞くためである。

素晴らしい農業、健康に対する考え方、自然や病気の捉え方など、教えられる所が大変多かった。妻も一緒に行ったが、彼女も感銘を受けていた。


明日は御溝の清掃日である。

今年もいよいよ稲作りが始まるなあ・・・・。


生死

「われわれは誰でも、息をしているということが、既に奇蹟です。」

友人の仮通夜の席で、牧師さんが仰った。


潮谷聖一郎さんがなくなられた。

48歳の若さで、後には奥様と子供さん三人を残されて、天国へと旅立たれてしまわれた。


就寝中、夜中の突然の心不全による死亡ということで、ご家族は勿論、ご親族、職場の仲間、友人知人、皆が驚愕し、今でも信じられないでいる。

4月4日には告別式が行われた。

今は、聖一郎さんのご冥福を静かにお祈りするばかりである。


生前の聖一郎さんは、内には理想に燃える激しい情熱を溢れんばかりに湛えておられただろうと想像するが、外面は大変穏やかで、いつも笑みを絶やさず、常に周囲の人を幸せにしようと時間をすごしておられた。

出しゃばり過ぎず、飲みすぎず、大言壮語するわけでもなく、いつも静かに自分の務めを果たされていた。


自転車での日本一周、奥さんとのヒマラヤトレッキング、中国研修、そんなことも自然と普通の顔でサラリと成し終えた人。

ちょっと前の、水俣市での水害による災害発生の時は、いち早く現地ボランティア作業にも参加された。


水と生命を守るために、ゴルフ場建設反対を訴えられたこともあります。(ゴルフ場は建設されませんでした。)

自然を愛し、山に登り川に潜り、イノシシを捕り、鰻・鮎を釣り、山芋を掘る名人でもありました。


正義感に溢れ不正を絶対に許さぬ、硬骨の一面があったことも私はよく知っています。


惜しい人間を亡くしました。悔やんでも悔やみきれません。惜しい人間を亡くしました。


これからの私の人生の色々な場面で、「彼ならどのように判断するのだろうか?」と、自分自身に問いかけながら、私は生きていくでしょう。

それが、私の心の中に彼が存在するということだと信じます。


これまでのご好誼に対し、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。


息をしているということが、既に奇蹟です。

1周年。

 昨年の4月1日に、このブログを開始して早くも一年が過ぎ去ってしまった。


 これまで書いた記事の回数を見たら、32回書いていた。(今回が33回目)

一年365日もある中に、これはチト少ないのではないだろうか?こんなものが日記と呼べるのだろうか?

日記の回数でさえも、努力不足、能力不足である。(内容の出来・不出来は問うまでもない。)

しかも「農園日記」とあるのに、農園のことはほんのチョッピリで、他は焼酎飲みの話や、地域の話題が多かったように思う。


明日から2年目に入るが、松本農園の話題、山江村の話、時には世の中や政治(?)の話も織り交ぜて、心に浮かんだこと、気になったことなど、その時々の私の考えを綴って行こうと思っている。


今日はとてもよい天気だ。春の暖かい一日だ。

もっとも朝はまだまだ寒く、今朝は外に止めていた車の窓ガラスを、お湯で溶かしたほどだった。

山江村の美しい公園、丸岡公園の桜も満開だ。もう、花吹雪が舞っているのかな?

4月16日(日)は、この丸岡公園で「つつじ祭」も開かれる。

皆さんも、是非丸岡公園においでください。5月の連休までは「つつじ」の花がありますよ。


山江村の情報は、http://www.ystv.jp  山江村民テレビ(動画です)

http://www.yamaemura.jp  山江村公式ホームページ

をご覧ください。

黒潮テレビ局。

高知県大方町へ行ってきた。


大方町は、今月20日に隣町の佐賀町と合併して、「黒潮町」となることが決定している。

西は四万十川、南は太平洋の大海原で、鯨の来る町「黒潮町」誕生である。

佐賀町は、「かつお日本一」の町でもある。


この町の住民の方々が、自前のテレビ局を作ってしまわれた。

といっても、黒潮テレビは全国どこででも見られるというものではない。

近い将来、何らかの方法で、全国・全世界へ発信されるだろうけど、今のところは、大方町(黒潮町)の「ビオスおおがた・情報館」でしか見ることは出来ない。

しかし、そこへ行けばいつでも見られるので、どなた様も、大方町(黒潮町)の「ビオスおおがた」を尋ねて行ってください。

「ビオスおおがた」には、「ひなたや」という美味しい料理店や特産物販売所もあります。


すぐ目の前は太平洋、青い海と白い砂浜に、私はすっかり参ってしまった。

忙しい2日間だったが、暇を見つけてはベンチに座って海を眺めていた。

もしかしたら鯨にも逢えるかと思って。


3月5日は、黒潮テレビ開局記念公開生番組として、朝10時30分から午後3時まで、ぶっ通しで公開生番組放映でした。


中継はエルサルバドル国や山口県とも繋がり、地球規模の広がりでした。


新たなるスタートをする、黒潮町、黒潮テレビ局の、益々のご発展をお祈りしています。


NPO砂浜美術館

  私たちの町には美術館がありません。

  美しい砂浜が美術館です。

くまがわウインドアンサンブル

 人吉球磨地域には社会人のための、社会人によって作られた、ブラスバンドの集まりがある。

中高生、大学生時代にブラスバンドの演奏をを経験した人は結構いるが、社会人になった途端演奏する場をなくし、再度始めたくてもどこでするすべも無く、かといってピアノやヴァイオリンと異なり、1人2人ではあのブラスバンドの迫力を到底表現できるものではなく、悶々としている人が多かったようだ。

そんな時、人吉・球磨に救世主が現れた。学生時代、ブラスバンドの全国大学連盟会長をしていた「U氏」が人吉に帰ってきており、その彼が一大奮起、社会人を対象にしたブラスバンド部を結成した。

 今から12年前のことである。

 そんな思いが詰まったブラスの練習場に、10年以上前から我が農場、ケニアハウスを週に一回、使ってもらっている。夏は蚊が多く冬は寒すぎる場所だが、年間殆ど休むことなく、熱心に練習に明け暮れる姿には全く頭が下がる思いである。

そして年に一度、定期演奏会が行われる。

今日がその第12回目の定期演奏会であった。練習場所を提供している関係で、いつも招待状をいただき聴きに行っている。もちろん気持ちだけではあるがお祝いを持ってである。


 正直な所、初期の頃はハラハラドキドキして聴くことが多かったが、回を重ねるごとに安心して聞けるようになったようにおもえる。素人が生意気な感想を、と怒られそうだが、素人だからこそ単純に、「うまくなったな」、と感じるのである。ちなみに本日のプログラムは以下の通りであった。

    Part1 は British Symphony 祝典のためのファンファーレ、カンタベリー・コラール、イギリス民謡組曲、「オペラ座の怪人」メドレー、ロンドン組曲より「ナイツブリッジ行進曲」

    Part2 は 人吉アニメ村、    名探偵コナンやサザエさん、ドラえもん、まんが日本昔話、ルパン三世等、子供たちが喜ぶ曲が演奏された。

アンコールに応えて、アニメ16曲メドレーというビックリ曲もあった。

 今回は初めてお楽しみ抽選会があり、3名の方のみに豪華賞品が当たった。その中の1枚が手持ちの番号と1番違いではずれ、残念であった。

  日頃からなかなか音楽を聞きに行くことが無いので、年に一度このような機会を与えていただき、感謝している。


 思えば人吉球磨地方は、九州山地の山々にすっぽりと囲まれた人吉盆地に位置している。

今でこそ高速道路の九州自動車道が通り、JR鉄道肥薩線にも特急が走るようにはなったが、昔は浄瑠璃にも「落ち往く先は九州相良」と謡われ、鳥も通わぬ、陸の孤島そのままの僻遠の地であった。

 山の谷間は、文化や政治や経済や電波の谷間でもある。

一部の人たちは外の世界にも目を向け、外部の文化の取り入れに熱心であっただろうけど、地域全体が進取性に富むという地域ではなかったように思われる。

 その中で、独特の文化を醸成してきたのであろう。


 都会ならば、毎日色んなジャンルの音楽会・演劇・展覧会・・・・・・などが催されるだろうが、ここでは、そのような機会は数少ない。


 くまがわウインドアンサンブルのような文化団体活動が、末永く続くことを願っている。

団員各位のご尽力に、心から感謝したい。


ありがとうございました。


 



パン作り、ピザ作り

山江村はグリーンツーリズム事業に力を入れている。


本日、人吉市のレストラン経営者を先生として招き、村民を対象とした「ピザ作り・パン作り」の講習会がケニアハウス(松本農園)で開かれた。

集まった20人ほどで、先生の説明を聴き、こね方・動作・手つきなど作り方の初歩から熱心に学んだ。


ドライイースト菌と砂糖をぬるま湯に溶いて、湯煎するところから始めた。

このイースト菌が小粒の泡を立て、お酒(?)のような香りがしてきた所で、強力粉・薄力粉を半々に混ぜた小麦粉の中へ入れた。砂糖・塩を加え、温めた牛乳を混ぜ、こね始めた。

充分にこねた所で、ラップを被せ、暖かくした車の中においた。(醗酵器は無し。)


ケニアハウスにはレンガ造りのパン焼用石窯がある。8年ほど前に、仲間20人ほどに一部を出資してもらい、みんなで作った石窯である。(といっても妻と私が1年間かけて殆どを作ったのだが・・・・。)

しばらくは屋根も無かったが、2年前にようやく瓦屋根を被せたというパン窯である。


このパン窯に朝早くから火を起こし、パンを焼く頃に300度から500度くらいになるようにしなければならない。パン生地の準備とパン窯の準備、両方がうまく進んで、初めて美味しいパンが焼けるのである。


今回は、パンは竹に巻きつけて囲炉裏で焼く「棒ぱん」とし、石窯ではピザを焼くことにした。


棒パンは思いのほか簡単に焼きあがり、美味しくいただいた。

夏のキャンプなどで子供たちに焼かせると面白いだろう。焼けるのが待ち遠しく、つまみ食いしながらのパン焼きだった。


ピザ作りは本格的だった。

ソース作りもプロレシピの本格派で、最初に小さく刻んだたまねぎ・にんにくをオリーブオイルでいためる所から始めた。唐辛子やアンチョビ・白ワイン・トマトを加えさらに炒め、砂糖・塩・黒胡椒・オレガノ・バジルで味を調えて、やっと出来上がった。それだけで、もう美味しそうだった。

醗酵が終わったパン生地を、バターを塗ったピザ皿(?)に押し広げ、上記のソースを置いて、その上に好みの具をのせた。具は、チーズ・トマト・ピーマン・ハム・ウインナー・しいたけ・まいたけ・など多彩だった。

さあ、いよいよ石窯に入れる。パン窯の中はとても熱くなっている。すぐにいい香りがしてきた。待つこと少し、6分から7分で出来上がり、包丁を入れて熱いうちにうまいうまいと頬ばった。

ソースに入れた残りのワイン、紅茶、緑茶を好みで頂き、ピザも飲み物も、とても美味しかった。

 朝8時過ぎから午後2時頃までの、貴重で楽しい講習会であった。時間を見つけて、再度パン作りをしたいと思う。


 妻は仕事のため、今回の講習会に参加できず、大変残念がっていたが、職場では月に2回だけパンを作り、販売をしている。余計なものを入れない固めの、ご飯用田舎パンを作っている。こだわリのパンなので、お客の好き嫌いがはっきりしているため、少ししか作らないそうだ。そんな田舎パンでもファンはいるようで売れるらしい。   残っていたピザを妻に食べてもらったが、さすがプロの味、と感激して食べていた。


講習会の模様は、インターネット動画配信、「山江村民テレビ」にてご覧下さい。

http://www.ystv.jp

ピザ・パンの作り方、その1・その2・その3となっています。


 

スワヒリ語の先生

 先日、妻の昔の友人から一冊の本が贈られてきた。 平凡社新書発刊の 「食」の課外授業、、、、、、、、というタイトルの本である。 

作者は西江雅之先生、そう、妻にとっては、さんではなく先生、なのである。文化人類学者、言語学者である西江氏は、世界の殆どの言葉が分かってしまうという、超人的でユニークな面白い先生である。

 実は結婚前に一度だけ、妻が私に西江氏を紹介してくれたが、気取った所のないとても気さくな、どちらかというと、その辺で見かけるおじさん、という感じであった。しかし話し出すと一変、その話題の豊富さはとどまることを知らず、矢継ぎ早に話し、決して忘れられない存在となってしまうのである。

妻はご多分に漏れず、西江教(?)の信者となり早30数年、西江氏の新刊や雑誌、新聞記事等が掲載されると、必ず妻の昔の友人たちから情報が流され、そして送られてくるのである。遠くにいる友人たちばかりで、妻は会うこともままならないが、いつまでたっても西江門下生達の心は昔のままで、結束は固いようである。

本の 題名からして一般的な「食」に関する内容を連想するかもしれないが、そこは文化人類学者,言語学者が捕らえる視点からの内容である。詳細は是非、書店で購入、読んでみてもらえればと思う。

価格は税別740円との事。

近いうちに、妻の感想を聞いておこう。

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